| 1982年12月、サラリーマンとしての仕事に疑問を抱いていた村田さんは、人生を考え直すための旅に出る事を決意した。暖かい国に生きたいと思い、当初行き先にはハワイを考えていたが、12月のハワイ行きに空席はなかった。諦めかけていた村田さんのもとに旅行社の友人から連絡が入る。
「セブって知ってるか?」
訊けばその島はフィリピンにあり、1週間後の飛行機にキャンセルが出たという。それがフィリピンとの出会いだった。
よく考える事がある。もし行き先がハワイやベトナムだったら。それはわからない。その時に訪れたのはフィリピンだった。
観光客として初めてフィリピンを訪れた村田さんは、セブ空港近くのラプラプ市に滞在した。貧しさ、というのが第一印象だった。お土産売りの女性たちが、商品と交換に村田さんのタオルを欲しがるのを見、「こんなものが欲しいのか」と驚いた。
やがてそこで知り合ったひとりの船頭と親しくなる。何度目かの訪比の際に彼の自宅に招待された村田さんは、一飯の恩義に報いるため、彼らが欲しいと思ってはいるが高価すぎて買う事のできないラジカセを日本からプレゼントする事を約束する。帰国した村田さんはラジカセのほかにシャンプーやスリッパなどを大きなダンボール箱に詰め込んでフィリピンに送った。口先だけの友情ではなく、行為でそれを示した村田さんは大切な友人として人々に紹介される。こんな事で喜んでもらえるなら、俺にも何か出来る事があるかもしれない、と思った。たくさんの貧しい人々に出会い、必要なものを持ってくる約束をし、必ずそれを実行した。訪れる度に荷物が増える。古着や結婚式にもらった引き出物のタオルなど、日本の自宅にあるものは大体持って行った。この時期に親しくなり今もつきあいのある観光ガイドは、フィリピンに足繁くやって来て、観光もせず貧しい人々の家をまわりお土産を配って歩く村田さんの姿に心底驚いた。それは普通の日本人観光客とは全く違っていた。それが現在の活動の原点となり、やがてラプラプ市にある30の場欄外すべてを訪れる事になった。
|